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活動指針

〜「日常(いま)を守り、未来を支える」ための活動指針〜

「胸に弁護士バッジ、腰に前掛け」

1.法の常識は、世間の非常識?

私が大学生のとき、ローマ法の授業で木庭顕教授が「法の専門家になると八百屋のおっちゃんと話が合わなくなります。しかしそれはそういうものなので仕方ないことです」と話すのを聞き、「何言ってんだこのおっちゃん?!」と思ったものですが、これは事実の一端を示しています。というのは「法的な視点や論理構成は往々にして社会常識とかけ離れる」ため、法を仕事にする弁護士は、一般のひとびととは異なった感覚で物事を見がちな傾向があるからです。

2.法の「活用」のプロフェッショナルとして

後述するように、私(青木)は弁護士が「社会から遊離したプロ」であることを素直に肯定することはできません。
しかしそうはいっても弁護士活動を業務とする当事務所は、法の適用・活用をそのフィールドにするプロフェッショナルである以上、法を十分に「活用」できるように、活用の基盤として、弁護士としての技量を向上させていかなければなりません。
弁護士は、相手もその道のプロである弁護士、検事、そして裁判官などの法曹である以上、依頼者のために十分活動するために、間違いなくそれは必要です。

具体的にはまず、依頼者からお願いされた紛争案件で、法廷で、そして交渉の場で、法を駆使し「活用」することで、十分戦うことができなければなりません。専門用語で言うところの「訴訟技術及び交渉技術の向上」というものです。

また、なんでもかんでも紛争を訴訟や交渉で解決することは手間暇時間がかかりすぎ、依頼者にも社会にも負担が掛かります。ですので、訴訟や交渉に至らないように紛争の「発生」を事前に防止することがとても大切です。事前防止に法を「活用」するためには、「紛争発生の事前予防技術」を向上させていかなければなりません。

法を「活用」する、という視点からすれば、法の趣旨を理解し、利用することによって、事業の発展や目的の達成を果ることができます。そのためには弁護士は、法の具体的なあり方や利用方法を詳細に検討し、実行することで、法の戦略的「活用」が十分にできるように、力量を高めなければなりません。このような法の活用方法を、「戦略法務」と呼んだりします。

さらに、最近は弁護士も専門化が進んでいますが、極端な専門化は、他の解決可能性に発想が至らなかったり、専門外の領域におけるリスク発生に気が付かない事態が往々にして発生し得ます。「ひと」を守り支えるためには、オールマイティに法の「活用」ができなければなりません。
実際に当事務所は医療過誤や知的財産権に関する紛争から離婚・遺産分割まで、幅広い業務について経験を蓄積しています。

このように当事務所は、法を「活用」すること -裁判所が中立な立場から法を「適用」するのに対して、弁護士である当事務所は、依頼者の利益を守るために法の真価を生かして利用する、つまり「活用」する- によって依頼者の利益を最大化するべく活動し、日々研鑽を重ねています。

3.「ひと」との交わりにより
法の適切な「活用」ができる

しかし、法の「活用」が仕事といっても、実際に法が「活用」されるのは依頼者 -「ひと」- であり、それにより変化を被るのはかけがえの無い生活であったり事業であったりするわけです。そしてその背景には、一人一人の異なった想いや条件があります。

いかなる案件であってもそのような多様性、複雑さが存在し得ることをこころに刻まなければ、依頼者が納得できない解決を押し付けかねません。

そればかりか、法の活用ばかりに気を取られ、公正・公平な紛争の解決ができなくなるおそれもあります。抜群に頭は良くても自分の案件をモノのように見る弁護士に解決を委ねたいと普通は思いませんよね。そういう意味で紛争はただ勝てばいい、勝敗ですべてが決せられる、というものでもないのです。
もちろん、あらゆる紛争に依頼者の多様性による複雑さが存在するわけではありませんし、また、当然、クールに事務的に解決に導くべき(そして、現実にそのように解決されている)案件も多々あります。しかし、そういう事件も当初の見通しとは異なった、ひとの多様性・複雑さを原因とした複雑さ・困難さを示すこともまた往々にして発生するのです。

つまり、ただ法を活用するのではなく、法の働きの主体であったり、客体(対象)であったりする「ひと」ひとりひとりへの想いと交流がなければ、「ひと」の「日常(いま)を守り、未来を支える」ことは決してできないのです。

紛争解決にせよ、事前予防にせよ、法の適用・活用が予定されている「ひと」への想いと十分な交わりがなければ、公正・公平な法の活用など絵に描いた餅に過ぎません。

4.法の限界を知る

また、プロフェッショナルとして「法は万能の解決手段ではない」ことにも注意しなければいけません。

法的な視点が社会常識のそれと異なる以上、どうしても日常常識からすると違和感を免れない、俗にいう「腹落ちしない」解決に至ることもありますし、その一方で法の活用ではどうにもならない事案が法を離れた形で公平に解決することも少なくありません。

また、プロフェッショナルとして「法は万能の解決手段ではない」ことにも注意しなければいけません。

法的な視点が社会常識のそれと異なる以上、どうしても日常常識からすると違和感を免れない、俗にいう「腹落ちしない」解決に至ることもありますし、その一方で法の活用ではどうにもならない事案が法を離れた形で公平に解決することも少なくありません。

つまり、法は、公正・公平な紛争解決(とその防止)のための万能の手段では、決してありません。往々にして訴訟が判決に至らず、和解で終わる理由の一つもまた、ここに求められます。

このことを意識することは、我々弁護士の感覚をより一般社会に向けて修正する機会を与えてくれますし、多様な解決可能性を意識することが依頼者にとって公平な解決を導く可能性があることを、気づかせてくれるのです。

また、弁護士が法により解決できない場合でも、弁護士以外の専門家であればそれを解決することができる、というのも当たり前のことです。
当事務所では様々な事案を解決する中で他分野のプロフェッショナル -司法書士、税理士、公認会計士、社会保険労務士、行政書士、不動産鑑定士、土地家屋調査士、建築士、保険代理店、医師、調査会社、FPなど- との交流が蓄積されており、これらの信頼できる方々と問題解決をするために協力提携関係を取り結んでいます。

5.法を広める

ここまで私は「法(法律家)が一般常識からかけ離れている(こともある)」と繰り返し述べてきましたが、では、法は本質的に一般社会から遊離した、社会に合わないものなのでしょうか。

これは、法とは何か、何のためにあるのか、という法哲学における大問題に関わる疑問です。

ただ私(青木)は経験上、法は、「えらい人」がひとびとの都合を考えず自分の都合を優先させるため勝手に定めた規則ではなく、公正・公平な社会の実現(そのための依頼者にとっての公正・公平な紛争の解決及び防止)のために存在すると考えています。そうでなければそもそも法をいくら活用しても公正・公平な紛争解決や予防などできるものではない、というのが実感です。

ですので、法の目的は、社会の一員であるひとびとの、「何か問題があっても公平・公正に自分と事件を取り扱ってほしい」という想いに合致したものです。よって法と社会常識が遊離する、という現象は決して望ましいことではありません。

しかし、現実には、個別の法律や判例、前例が、社会や時代の要請とうまくマッチしていないため解決の際に一方当事者に著しく不利な、公正・公平を感じられない解決を押し付けるようになったりしてしまうわけです(前述の「法の限界」の原因の一端でもあります)。他方で、実は法の内容やその目的を理解すれば、それほど社会の側にとっても違和感がないものであったりもします。

当事務所では争うべき事案ではしっかりと社会常識を主張することで、また、法実務に関するセミナーなどを広く一般に公開することで、このような社会常識と法のギャップをより埋めるべく、当事務所ができる限りの力を尽くして活動していきます。

6.法の「活用」のプロとして、「ひと」として
〜「胸に弁護士バッジ、腰に前掛け」〜

以上から、当事務所は、個々の紛争の背景にある、ひとびとの想いや条件の多様性・複雑さを踏まえ、充実したコミュニケーションを図ることで、法の限界も視野に入れながら、公正・公平な法の「活用」を行います。

そしてこの『法のプロフェッショナルであるためにも「ひと」との交わりを大切にする』という精神を端的に表現するため「胸に弁護士バッジ、腰に前掛け」というクレド(信条)を活動指針として設定しました。

弁護士バッジは法の「活用」のプロフェッショナルとしての矜持を、前掛けはそれを古来から利用してきた日本の商人 -当事務所が所在する日本橋を開拓した近江商人らに代表される- の細やかな心配りを示す「三方よし(売り手によし、買い手によし、世間によし)」の精神を、各々表現したものです。