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ロゴの由来
事務所ロゴの由来
1.公事師から代言人、そして弁護士へ
日本における弁護士業務は、1872年(明治5年)に司法職務定制により定められた代言人(だいげんにん)制度がその始まりとされています。江戸時代にも公事師(くじし)という訴訟関係の手続に助力する類似の仕事があったのですが(高橋敏『江戸の訴訟』(岩波書店・1996))、その社会的地位は低く、当初はこの名残もあり、代言人は不名誉な仕事として捉えられていました。
その後、明治維新後の西洋法制継受による価値観の変化と、星亨(ほしとおる・1850~1901)らの尽力もあって、代言人の社会的地位も向上し、1893年(明治26年)に弁護士法が制定されることで代言人は弁護士という新たな時代を担う職業へ転換されました。
2.左官屋の息子と「バリスター・アット・ロー」~イギリスの影響・その1
星亨(ほしとおる 1850~1901)
星亨は、イギリスに留学して日本人として初めてバリスター・アット・ロー(法廷弁護士)の資格を取得した左官屋の息子で、司法省附属代言人制度を制定させ、自らそれに就任して充実した弁護士活動を行うことにより、西洋由来の弁護士制度の近代社会における重要性を身をもって示しました。まさに日本における弁護士業務の始祖のひとりといって過言ではありません(星亨については有泉貞夫『星亨』(朝日新聞社・1983)を参照)。
3.日本社会に「法」を根付かせる~イギリスの影響・その2
穂積 陳重
(ほづみ のぶしげ 1855~1926)
他方、西洋文明の一環である「法」を東洋文明社会の一環である日本社会に根付かせるため、「法学」の受容も不可欠でした。
そしてこれを担ったのは、イギリスに留学してやはり法廷弁護士の資格を取得した穂積陳重(1855~1926・東京帝国大学法学部教授、学部長。宇和島藩の下級藩士の息子で澁澤栄一の娘婿)でした(穂積陳重については同人著『法窓夜話』(岩波書店・1980)の福島正夫解説及び内田貴『法学の誕生 -近代日本にとって「法」とは何であったのか』(筑摩書房・2018)を参照)
このように日本の法実務及び法学はイギリスに強く由来するものです。
4.ウィリアム・モリスの装飾文字と当事務所のロゴ
ウィリアム・モリス(1834~1896)デザインの装飾文字
この歴史を踏まえて当事務所は、アルファベットの「A」 -青木(Aoki)の苗字の頭文字- を、星亨及び穂積陳重と同時代にイギリスで活躍した芸術家であるウィリアム・モリス(1834~1896)の草文字のデザインを範にとり、現代的に図案化し、事務所開設当初の2009年から利用してきたものです。